1941年10月の設立から今日に至るまで、さまざまな社会の変化に対して、
京都銀行という会社がどのように挑戦してきたのか。その軌跡をご紹介します。
- 1941年京都府北部に前進である
「丹和銀行」が誕生 -
1941年(昭和16年)に京都府北部にあった両丹銀行、宮津銀行、丹後商工銀行、丹後産業銀行の4行が合併し「丹和銀行」(本店:福知山市)として誕生。
- 1951年「京都銀行」と改称し、
京都市内に本店を移転 -
当時の京都市内は、経営基盤がすでに確立された金融機関が存在し、他の都市銀行や地方銀行の支店も数多く出店されていた。
第二次世界大戦終了後、全国に存在する中小企業の支援を地方銀行が担っていた。一県一行主義のもと、当時の京都では「京都市内に本店を置く地方銀行が存在しない」という課題に直面していた京都経済の復興・支援を使命とし、地元経済界の要請により選ばれたのが、北部の小さな銀行であった京都銀行である。
その後、1951年に「京都銀行」と改称、1953年に本店を京都市に移転することとなった。
- 盤石だった京都の金融市場に風穴を空ける、
「製造業の中小企業への支援」という挑戦 -
京都市内ではすでに他行の基盤ができあがっており、後発の銀行である京都銀行が京都市内で取引を拡大していくのは至難の業であった。特に、当時の優良産業であった和装等の繊維産業は既存の金融機関との取引が厚く、相手にしてもらうことが困難を極めた。
こうしたなか、小さな銀行がどうすれば京都市内という地域のお役に立てるのかを真摯に考え抜いた結果、製造業の中小企業に対する支援に注力することを決定した。
- 融資先企業の倒産リスクを恐れない挑戦。
すべては地域のお客さまのお役に立つため -
製造業の中小企業とは、今でいうベンチャー企業であり、当時は銀行が融資するにはリスクが高いと言われていた。倒産のリスクのある企業に融資することは、当時の銀行の考え方としては極めて異例であった。
しかし、京都銀行はこの施策を選択。それは、普通にしていては他行庫に勝てない、地域やお客さまのお役に立てない、という環境のもとで、どうすればお客さまのお役に立てるのか、を追求した結果であり、そのための勇気ある挑戦の結果である。
- 融資を超えた積極的な投資で、
地元企業との繋がりと経営基盤が強固なものに - 地元企業が成長していく中で、単なる資金支援(融資)だけにとどまらず、積極的な投資を実施。これは、確かな先見の明に基づく投資であり、銀行本体でベンチャーファンドさながらの投資活動を行なってきたことになる。
こうした挑戦的な取組みが、後の京都企業と呼ばれる地元大企業との強いつながり、ひいては現在の膨大な有価証券含み益を生みだすこととなった。
融資だけでは儲からないと言われる時代の、そのはるか昔に、融資だけではないリスクテイクを行った結果が、現在の有価証券含み益と有価証券配当金であり、これらは、過去からの本業支援の賜物である。
- バブル崩壊後、更なる成長戦略のため、
滋賀県へと出店を計画 -
そして2000年、滋賀県に草津支店を出店。ここから、現在の広域型地方銀行に向けた新規出店が続くこととなる。門真支店出店後、大阪への出店を拡大。その後は、奈良、兵庫、名古屋へも新規出店を続けた。
2000年以降、60か店余りの新規出店を行い、結果、預金量は倍以上に増加。新たに一つの地方銀行を創り上げるほどの成長を遂げてきた。
この戦略を取り得たのは、圧倒的な財務基盤があったからこそであるが、それだけではなく、お客さまのために挑戦しつづける、というカルチャーがあったからこそである。「改革なくして成長なし。成長の手を止めた瞬間に、衰退が始まる。」「積極的な攻めと鉄壁の守り」という言葉が社内に浸透し、改革と挑戦のDNAが根付いていった。
- 多様化する地域の課題に応えるべく
「京都フィナンシャルグループ」を設立 -
その後、低金利時代からゼロ金利、マイナス金利の時代に突入し、規模の拡大では業績が上がらない環境になっていくなかで、「営業エリアの拡大」による業容拡大から、「事業領域の拡大」による業容拡大へシフトしていく。
京銀証券の設立、信託業務への本体参入による、銀・証・信のワンストップサービス。広域型地方銀行のネットワークを活かしたビジネス・マッチングや、M&Aなどである。
特にM&Aについては、20年前からその必要性を認め、M&Aのチームづくりに早くから取り組んできたことから、独自でノウハウを積み、成長してくることができた。
これは、経営体力(財務基盤)と、顧客のために挑戦しつづけるカルチャーがあるからである。
- 営業エリアの拡大から「事業領域の拡大」へ、
新たな挑戦が始まる -
「地域社会の繁栄に奉仕する」を経営理念として掲げ、さまざまな取り組みを行ってきた京都銀行は、2023年10月に「京都フィナンシャルグループ」を設立。
人口減少等の社会的課題に加え、DXへの対応やカーボンニュートラルの実現等の新たな社会的課題を有するなかで、地域社会・お客さまが抱える課題の多様化・複雑化してきている。
- 総合ソリューション企業として、
新たな未来へ -
今後は、金融機能の深化に加え、非金融機能の拡充をはかるべく、新たな事業領域の拡大に果敢に挑戦していくことで、持続的な企業価値の向上を実現していく。
京都フィナンシャルグループは、総合ソリューション企業へ。
そのスタートラインに立ったばかりである。