京都銀行の「美術研究支援制度」は、京都市立芸術大学の学生が制作された作品を毎年継続的に購入することによって制作者の美術研究費用を支援するもので、優れた芸術の創造・振興に寄与することを目的として2001年に創設いたしました。
購入作品をホームページ上でご紹介することによって多くの方々にご鑑賞いただき、文化・芸術振興の一助になればと願っております。
ブラウスの模様と、それを着たひとのなにげない仕草にひかれました。
有名な中国の敦煌、莫高窟を訪れた時の思い出を絵にしました。石窟の中は、一歩はいると真っ暗闇ですが、懐中電灯の明かりのなかすばらしい世界が広がっていました。そこにまるで夜空のような広がりを感じました。
様々なものから得られたイメージをモチーフとして自分らしくキャンバスの上に表現し,その中でちょっとした皮肉さやユーモアをもとめている。その中で中心となっているモチーフは髪の毛やお面である。
その二つのモチーフは顔を隠すのにとても便利な道具である。顔が見えない限り誰でもないが誰にでもなれるのだ。髪の毛というモチーフで人の影は見せているものの表情や感情の表現はしない。
私を見て欲しいけど目立つのは怖い。素直になりたいけど心の底までは出せない。結局矛盾であることはわかっているが,人間関係ではうまくいけるひとつのやり方だというのを今まで経験から覚えてきた。それがトラウマになって作品に出てきて気がつかないうちに自分の中でテーマとして取り入れるのではないかと思う。
私は絵を描くことで,はっきりと言葉にできないもの,例えば雰囲気とか感情といったものを表現したいと思っています。
モチーフや色,線,形,そして人の姿態はその求める雰囲気に適したものを選びます。
この絵では,水槽の中の水,ポンプ,白い石,金魚,人をモチーフとして選んでいます。
黄みがかった青を基調とし,繊細な線に,揺らぐような形を求めて描きました。
私は描いたものを削り,また描き,また削る,という作業を繰り返しますが,これは上記の「雰囲気」や「感情」を表現に流し込む祭の試行錯誤です。私はそのような選択をキャンパスの上で行います。その行為は,想像上のイメージを具体的な図像にする上で大変重要です。想像上のイメージはひといきでは描けないと思っているからです。
それらの行為の結果,言葉にはできないものが表現でき,見てくださる方々に何らかの形で伝わればよいと思っています。
私の制作は生きることを肯定することから始まります。
体内に存在する形状を植物や樹の枝の生き生きしたイメージを重ねることで,本来の人間の姿,はかなさといったものを表現したいと思っています。
心のより所となるような夢の世界と,現実の世界
両方の世界を自由に行き来するおもちゃのようなものを表現したい。
『夜明け前。
薄明かりの夜の終わりに,一日と一日が繋がる瞬間を感じる。
その静かな一瞬は,「明日」を迎えるための重要な時間である。
一本と一本の糸を繋ぐこと。
糸は繋ぐことでより長くなり,新しいものをつくる礎となる。
何かと何かを繋ぐこと繋げていくこと。
それは,「次の段階」を迎えるための切実な日常である。』
山奥深くに流れる渓流に,木々の緑が映り込んでいる。中心に入る波型の稜線に,流れをイメージさせる緑色と青色の細い線が交差しながら集まっている。細い線は,刀によって線を彫りその溝に色を埋める蒟醤(キンマ)という技法と,漆を付けた円状の刃を転がすことで細い線を描く技法(碁盤に目を引くのに日本刀が用いられているというが,それをヒントに工夫した方法である),の二種類の線により,重なり合う水の流れを表現した。
器胎は硬質発泡ウレタンという削り易い素材を用いている。その後漆で麻布を二枚貼り重ねて補強し,漆下地を幾層も重ねることで細部まで形を作り出している。目立たないが,周縁部に僅かに凹凸を研き残すことで,水の揺らぎを表そうとしている。